1983年の新日本プロレス

 ’83年、TV放映は1・6後楽園ホールで始まった。
 久々現れた長州の横には、髭面のゴツイ男が立っていた。
  私が愛してやまないレスラーの一人 、マサ斎藤だ。
 二人は、「放浪の狼軍団」と呼ばれた。

 対戦相手は、坂口、キラー・カーン組。
 だがカーンが、パートナーである坂口にトップロープから
ニードロップを決めた。裏切りだ。私は衝撃を受けた。
 「狼軍団」は二人から三人になり、「革命軍」と呼ばれた。

 新日本正規軍、新国際軍団、そして革命軍。
 新日本のリングは、三つ巴の軍団抗争がこの後続いた。
 群雄割拠のリング上。その中に埋もれることなく、
長州は己のファイトを激しく続けていた。

 6人タッグ。長州と藤波が先発すると、会場は大きく沸いた。
 二人のマッチアップが 、試合の中で一番の歓声を集めた。
 ファンが待ち望んていたのは、長州と藤波の一騎打ちだった。

 4・3蔵前

 ビッグファイトシリーズ第2弾。蔵前国技館。
 三大決戦と謳われたこの大会。私の目当てはもちろん、
タイガー(欠場)でも、猪木でもなく、長州vs藤波だった。

 当時、私は… あれ、もう中学入学してたっけ? 小学生から中学生に。
 緊張と希望に満ちた、新しい生活が始まった頃だった。
 木の芽時。新しく何かが始まる、そんな予感に溢れていた。
 入学した中学でも、出身小学校の違いから、軍団抗争が勃発していた(笑)。

  やっぱりプロレスはシングルマッチだよなー。
 やっと存分に二人だけの戦いが見られる、まずその喜びが大きい。
 もう、軍団抗争とか、いいよ。
 試合開始のゴングが待ち遠しい。興奮が高まった。

 入場。長州はガウン姿。緊張の面持ち。
 対照的に、なぜかセコンドのマサ斎藤は笑顔。緊張など微塵もない(笑)。
 ブルーのタオルに、腰のチャンピオンベルトが映える。
 ドラゴンは画になるなー、カッコいい。

  当然、私は長州を応援していた。
 う~ん。勢いは長州にあるけど、どうなるかなー?
  決着は着くのか? まったく予想がつかない。

 ゴング前にラリアットの相打ち! 会場のボルテージは上がる。
 互いに相手の技を力で返し合う。観ている側も力が入る。
 手に汗握る、白熱の攻防が続く。
 だが、やっぱり長州に分があるように見える。

 クライマックス。場外でラリアットを決めた長州。
 リングに上がろうとする藤波に、トップロープ越しにブレーンバスター。
 が! 宙で反転したドラゴンが、なんとジャーマン!!
 おお! 私は息を飲んだ。だが長州は、カウント2で返した。

 足を引き摺る藤波。ジャーマンの代償は大きかった。
 それでも必死の攻撃。ラリアットをかわし、後方回転エビ固め(だっけ?)。
 長州は、脚力ではねのける。意地だ。まだ余力もあった。

 ダメージが残る藤波に、すかさず渾身のラリアット!
 そのまま覆いかぶさるように、フォールを決めた。
 16分36秒、体固め。長州が勝った。
  でも正直、この3カウント、微妙だったなー。

 マサ斎藤と抱き合い、喜ぶ長州の表情は感動的だった。
 私は長州の勝利を、素直に喜んだ。
 だが、負けた藤波の姿にも惹かれるものがあった。私は藤波が嫌いではなかった。

 猪木が憎々しいラッシャー木村を叩きのめす。そんなカタルシスとは違った。
 ベビーフェイスVSヒール、という闘いの図式は崩れていた。
 長州と藤波の闘いは、因縁などとはかけ離れた、純粋で清々しいものに見えた。

 4・21蔵前、再戦。膝を負傷していた藤波は、長州に圧倒され負けた。
 試合後、藤波はリングから姿を消した。

第1回IWGPの余波

 世紀の大イベント、IWGPが開幕した。
 その結末は、猪木の失神KO負け、という衝撃の終焉を迎えた。
 次のシリーズ、猪木は欠場した。

 その後、7・7大阪、8・4蔵前、9・2福岡、9・21大阪。
 長州と藤波、二人のシングル戦が短期間のうちに繰り返された。
 試合結果は、どの試合もすっきりとしないものだった。

 長州と藤波は、「名勝負数え唄」という重圧の中でもがき、
それに応えようと、身も心も激しく削った。
 二人の試合を見るファンの心もまた、いつしか消耗していった。
 あの4・3を超える興奮と熱狂は、蘇らなかった。

 8・28、猪木はリングに復帰した。相手? またラッシャー木村かよ。
 その時、タイガーマスクはすでにリングを去っていた。
 ファンの知らぬリング外で、新日本プロレスは揺れに揺れていた。

 その後、長州のもとにA・浜口、谷津が集まり、新たに「維新軍団」が結成された。
 再び、新日のリングで軍団抗争が始まった。
 唯一新鮮だったのは、長州と前田のシングル戦だけだ。

名勝負数え唄 

 長州は、一つ一つの技にインパクトがある。
 バックドロップ、ラリアット、サソリ固めはもちろん、ブレーンバスターや
雪崩固め、ニークラッシャーからボディスラムに至るまで。その度に観客は沸く。

 一方の藤波。ドロップキックをやたら多用する。
 バックドロップなどの投げ技も、長州に比べるとダイナミズムに欠ける。
 唯一、目を見張る大技は、雪崩式の ブレーンバスターくらいか。

 インサイドワークに長ける藤波が勝つには、逆さ抑え込み、首固めしかないのか。
 延髄斬り、弓矢固め、逆サソリ、逆ラリアット。
 その闘いぶりは、「藤波一世」ではなく「猪木二世」のままだった。

 藤波は技がないからなー、なんて思っていたが… いや、あるじゃねえか!
 長州のバックドロップ、ラリアット、サソリ固め、
それを遥かに凌ぐインパクトのある大技が。
 ドラゴン・スープレックスだ!!

 ドラゴン殺法の代名詞。危険すぎるゆえ、自ら封印していた大技。
 ′78年。あの「ロシアの怪豪」イワン・コロフをKO!
 ああ、ドラゴン。長州相手に、一度は繰り出してほしかった。

 翌’84年。長州の狙いは、藤波から猪木へと変わっていく。

余談 ラッシャー木村

 私は当時、ラッシャー木村が嫌いでしょうがなかった。
 黒のロングタイツ、鈍くさい動き、小賢しい反則攻撃。
 猪木にやられ、マットに這いつくばる姿を見て、私は声を上げて喜んだ。

 だがその後、雑誌などの記事で、数々の感慨深いエピソードを知った。
 人情味に溢れた人間性、徹底したプロ意識。真っすぐで男気に満ちた
生き方に、とても胸を打たれた。大ファンになった。

 国際プロレス解散後のレスラー人生は、不遇だった。
 かつてエースだった男はヒールとして罵倒され、嫌われ続けた。
 それでも一戦一戦、真摯に己の務めを果たした。
 晩年、マイクパフォーマンスでファンに愛されたのが、せめてもの救いだった。

 入場曲「Rebirth Of The Beat 」!!
 これ、凄いいいよ。シブいなー。たまらんわ~。
 マーチ調のリズムに、哀愁を帯びたギターのノイズが重なる。
 寡黙なR・木村の入場によく合っていた。

 黙して語らず。その生き様は、男の見本そのものであった。
 それが分かったのは、私自身が齢をかなり重ねてからだった。
 私は少年時代に抱いた思いを恥じ、心の中で詫びた。
 木村の中に、亡くなった父親の面影を見て、泣いた。

 

 

 

 

著者

たねってぃ

1970年生まれ 千葉県在住

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