高一の時、ビクトル・エリセの「ミツバチのささやき」をビデオ屋で借りた。
 なぜ借りたのかというと、当時愛読していた「ロードショー」の
「新作フィルムずばり採点!」というコーナーで、
4人中3人がこの作品に100点満点!を付けていたからだ(もう一人は80点)。

 どんな映画だろう? 解説を読んでも作品像が掴めない。
 とりあえず借りてみっか。そして、観た。
 これは… 100点だよ(笑)

  オープニング・クレジット。子供が描いた絵が映し出され、
童話が始まるような、素朴な笛の音が流れる。
 当時、教育テレビで放送していた「世界名画劇場」のようだ。

 映画「フランケンシュタイン」を観た夜、
アナとイサベルは向かい合ったベッドで、ひそひそと語り合う。

 あの娘はどうして死んだのか? 怪物はどうして殺されたのか?
 アナの問いに、イサベルの答えは現実的だ。
 だが、続けてイサベルはアナにこう言う。
 怪物を見た。あれは精霊だ。友達になれば、お話しできる。

 ささやく声は、いつでも現実とは異なる世界へ誘う。

 精霊がいるとイサベルが言った廃屋。アナは井戸の底に叫び、石を投げ入れる。
 すると、地面には大きな足跡が。
 呼びかければ応えてくれる。 精霊の存在は、現実となる。

 キノコ採り。ホコリダケ、ハエトリダケ、タマゴダケ。
 アナに毒キノコの区別はつかない。いい香りが姿を惑わす。
 毒キノコは、父親フェルナンドに踏みつぶされる。

 アナとイサベルの無邪気な戯れ。ベッドの上で飛び跳ね、枕で叩き合う。
 泡立てた石鹸をブラシで口の周りに塗る。
 「これで、おヒゲがとれるのね」

 アナの母親テレサはいつも思い詰め、悩んでいる。心はこの土地にあらず。
 ただアナを抱きしめるしかない。

 レールに耳を当て音を聴く。振動が頬に伝わる。汽笛が鳴り、
汽車はアナの前を駆けていく。走り去った後を、アナはいつまでも見つめる。
 汽車はどこへ向かったのか。
 汽車はアナの思いを乗せ、遠くへ消えた。

 精霊は姿を見せない。アナは風に耳を澄ます。
 両手を宙に這わせ、精霊の名残に触れようとする。

 静寂が死への欲求を起ち上がらせる。それは突然現れる。
 黒猫は死へ近づき、イサベルは自ら死を演じる。

 子供たちは常に死と隣り合わせだ。遊びに夢中になるほど、死は傍らにいる。
 犬が吠えている。 精霊は待っている。
 燃え残った炎が、アナに決意させる。

 精霊に会いに行くのだ。アナは靴紐をしっかり結び、支度する。
 眼を閉じ、心の中で呼びかける。
 あの汽車の音が聞こえる。
 汽車はアナの思いを運び、男をこの場所に届けた。

 アナにはいるのが分かっている。リンゴを男にあげた。
 上着を渡し、ほどけていた靴紐を結ぶ。父親の世話をするように。  
 懐中時計のオルゴールの音が、男の心を和ませ、平安な時に帰らせる。
 男は手品を見せ、時計を消す。アナは微笑む。

 一緒に過ごした時間は、はかなかった。 カップのミルク。
 懐中時計のオルゴールの音が、残酷な知らせを告げる。

 アナは何と出会ったのか? 精霊とは?
 汽車から放り出された者たち。社会から疎外された者たち。
 運命から虐げられた者たち。
 そして、声も上げられずに、死んでいった者たち。

 廃屋に駆けつけるアナ。 見つけたのは血の跡。
 精霊は姿を消してしまった。ならば自分も、この世界にいる場所はない。
 アナは姿を消した。

 フランケンシュタイン、毒キノコ、銃殺された男。
 異物は排除される。恐怖を抱かせた罰として。
 だが、どこか他の場所ではきっと、異物ではないのだ。

 アナは森に引き寄せられた。アナは、あの毒キノコに触れる。
 唯一アナの慰謝になる存在だ。このキノコもまた、精霊なのだ。

 水辺で、揺れる水面を見つめるアナ。水面は、やがて別のものを映し出す。
 振り返るアナ。映画の怪物が、ついに目の前に現れた。
 映画の少女の運命が、自分に重なる。

 目覚めた時、アナの心はどこかへ行ってしまった。
 自分も精霊も両親もイサベルも、もう何も存在しない。
 見慣れた日常を照らす光は、必要ない。

 夜。犬が吠える。木の影がざわめく。
 アナは水を飲んだ。精一杯に。ささやく力を取り戻すために。
 精霊は待っている。アナはそう感じた。

 汽車が走る音が聞こえる。アナには分かっている。
 もう遠くまで行く必要はない。すぐ側にいる。
 呼びかければ、お話しできる。
 だから、アナは窓を開け、ささやく。
 「ソイ、アナ」

Ana

 観終わった後、今まで味わったことない、不思議な余韻が心を包んだ。
 映画の中の静謐な世界に、いつしか入り込んでいた。
 あの♪音楽が、いつまでも耳に残った。

  何よりも、アナ・トレントの可愛さに目を奪われた。
 アナが見、体験した出来事が、アナの瞳を通して
直に私に触れてくるようだった。

 当時は、そもそもスペイン映画だって、理解してたのかな?(笑)
 知識不足? いや、それだけではない。
 それまで私が観てきた映画とは、大きく何かが違っていたのだ。

 テレサは誰に手紙を? 離れて暮らす旦那だろ。
 じゃあフェルナンドは? あれは、祖父だろ!
 そんな自問自答は、アナに目を奪われ素通りする。

 その後二十代、三十代、四十代と、何度か観るうちに、
ああ、こういう話だったのかと、理解した。
 だが、何が分かったというのだろう。

 分ったと思うことがやましく、愚かに感じる。
 だったら何も分からぬまま、この映画を観ていたい。
 アナが可愛かった。この映画は、ただそれだけでいいのだ。

 観終わった後に気付く。
 アナが開けた扉の外に、月明かりの夜の中に、私はいる。
 ささやくアナの声が聴こえれば、走る汽車からいつでも飛び降りることができる。
 アナに会う準備は、できている。

 エリセは、「Ana、Three Minutes」を撮った後、
インタビューでこう語っていた。

 「映画を作ることは冒険だと思います。
  そして冒険の条件は、荷物を軽くすること。
  まだ見ぬ世界の扉を開くために、
 恐れず、冒険に乗り出して行こうじゃありませんか。」