第2回IWGP優勝戦である猪木vsホーガン戦。あれほど盛り上がった試合を
私はいまだかつて知らない。
 私が熱心にプロレスを観ていたのは、中学を卒業する
’86年の3月くらいまでだったが、それまで観ていた試合の中で、
間違いなく最も興奮した試合だったと思う。

 この試合がそこまでの熱狂と興奮を生んだのも、
前年に猪木が失神KOという、無残な敗北をホーガンに喫したからだった。
 猪木が優勝していれば、この熱狂は存在していなかったのだ。

 ’83年暮れのMSGタッグ・リーグ戦。
 なんと猪木は、憎き敵であるはずのホーガンと再びタッグを組んだ。
 なんで!? ファンは誰もがそう思った。
 猪木ホーガン組は仲間割れすることなく、前年に続き優勝した。
 ちなみにアンドレのパートナー、S・ハンセンは、不沈艦ではなかった(笑)。

 5・11福岡、第2回IWGP はついに開幕した。
 特別試合として組まれた猪木vsホーガン戦。
 暴走する猪木のファイトを観たファンは、ホーガンを倒し
IWGPの栄冠に輝く猪木の姿を、再び思い描くことができた。

 猪木は過酷なリーグ戦を戦い抜き、勝ち続けた。
 そして、ホーガンへの挑戦権を手にした。
 その結果は当然であった。ファンはいよいよ猪木が優勝する、
その瞬間を見届けようとしていた。

6・14蔵前

 この試合、また録画だったんだな(笑)。
 私は中二。クラス替えで新しい友達ができ、
親や教師に決して言えない、大人の階段を上り始めた頃だった。

 猪木の勝利は、前年以上の期待だった。
 ホーガンにリベンジを果たし、悲願だったIWGPの栄冠をついに手にする。
 この1年、悲嘆にくれたファンは皆、そう信じた。

 試合? 終盤、猪木が追い込まれる。
 リングに上がろうとする猪木を狙って、ホーガンがアックスボンバー!
 猪木は紙一重でかわし、場外でホーガンに延髄斬り!
 一足早くリングに生還し、優勝だ!

 …って、去年もそう予想しなかったっけ?(笑)。
 いかんいかん。嫌な予感が頭をよぎる。
 それを振り払うだけの、猪木が勝つ根拠が見当たらない。
 でもまあ、何とかなるだろう。そう楽観的に思いこむしかなかった。 

 ホーガンは威風堂々と入場し、リング上で自信を漲らせている。
 前回覇者であると同時に、現役のWWF世界王者でもあるのだ!

 一方の猪木は静かすぎる。おかしい。ホーガンの迫力に飲まれているのか。
 表情に覇気がない。まさか、去年の悪夢が蘇ったのか!?
 おいおい、大丈夫か猪木? 不安がこみ上げてくる。
 と、その時!

 猪木がかけていた赤いタオルを勢いよく宙に放った! ゴングが鳴る。
 闘う喜びを爆発させるように、猪木はホーガンへ遮二無二向かっていく!
 割れんばかりの大猪木コール。場内のボルテージは最高潮に達した!
 この試合の盛り上げ方。さすが猪木、誰にも真似できねー。

 会場の猪木コールは次から次へ湧いて鳴り響き、止むことがない。
 バックドロップ、延髄斬りでホーガンを攻める。
 だが、ホーガンもギロチンドロップ。一気に形勢を逆転しようとする。
 この試合初めてのアックスボンバー! だが猪木はかわし、ドロップキック!
 やがて両者はもつれて場外へ。17分15秒、両者リングアウトとなった。

 いやいや、まさかこれで終わらねーだろう。と思っていると、レフェリーのマイク。
 「決着が付くまで時間無制限で行います!」 おおー! そりゃそーだ!
 館内は再び大盛り上がり。延長戦のゴングが鳴った。

 延長戦。猪木はホーガンに足4の字を決めたまま、エプロンで膠着。
 2分13秒、両者カウントアウト。 闘いは決着せず、壮絶を極めた。
 試合開始から、20分以上が経過していた。
 猪木はこの年、すでに41歳になっていた。
 うわー、この先どうなるんだよ? 再延長戦のゴングが鳴った。

 開始間もなく、ホーガンが猪木をロープに押し付けたまま、アックスボンバー!
 猪木は崩れ落ち、リング上で大の字になった。ヤバい! と思ったのも束の間、
ホーガンは猪木をロープに振り、再びアックスボンバー! 決まった。
 わーっ! ホーガンが自ら3カウント叩く。
 あっ! 猪木の足はかろうじてロープにかかっていた。

 猪木はもう立っているのもやっとだ。両者は場外へ。
 あ! ホーガンが三度めのアックスボンバー!
 猪木は後頭部をコーナーの金具に強打!
 ゲッ! これはもうダメだ。全身の力が抜け、絶望感に捉われた。

 お! それでも猪木は立ち上がり、リングへ戻ろうとする。
 ん? これってまさか、去年と同じパターンじゃねーの!?

 歴史は繰り返すのか。最後の力を振り絞り、這い上がってきた猪木に、
ホーガンがアックスボンバー!! うわーっ!
 いや、レフェリーが邪魔だ。二人はもつれて、再び場外へ落ちた。

 猪木はフラフラだ。目の前のホーガンにもたれかかる。
 …。もう声も出ない。猪木の勝利は、遥か遠くへ行ってしまったのか。

 ホーガンが猪木を場外フェンスへ向けて振った。その時!
 長州が猪木にラリアット! えっ!?
 続けて、ホーガンとラリアットの相打ち! あー、何だこれ?

 倒れている長州へ、そしてリング内に一斉に物が投げられる。
 その間に猪木はリング内へ。3分11秒、リングアウトで猪木の手が上がった。

 おそらく試合後の私は、長い間放心状態だったと思う。
 会場のファンのように、怒りが湧いてくることこともなかった。
 私にあったのは、何か後ろめたいような、心苦しい感情だった。

 それは、ヴィットリオ・デ・シーカの名作「自転車泥棒」で、
群衆に取り囲まれ、頭を小突かれ、頬を張られる父の姿を見る、
幼い息子ブルーノの心境そのものだった。
 私は猪木と同等、もしくはそれ以上に、長州のファンでもあった。
 ショックだった。

 数十分前まで国技館に充満していた熱気は、歓喜として昇華することなく、
異様な容貌をした夢魔へと変わり、セルリアンブルーのマットを破壊した。

IWGP

 私はこの試合の後も、新日を観、長州を応援していたが、
この乱入の事は、いつまでも心の底に突き刺さっていた。

  数十年が経ち、この試合について書かれた様々な記事を読むうち、
乱入についての真相が、徐々に私にも分かってきた。

 試合後しばらくして、長州本人がインタビューで、
「猪木がこのままやられるのを黙って見てはいられなかった。
猪木を倒すのはこの俺だ。」 確かそんな事を語っていたような記憶がある。

 だが長州一人の意思で、あのようなことができるだろうか?
 乱入した試合は、新日本プロレスが社運をかけて行った大試合なのだ。
 長州はその時フリーとはいえ、大組織の中の一レスラーにすぎなかった。

 大人になった私は全てを理解した。
 そして長州に対して、同情の念を禁じ得なかった。
 長州もまた、あの巨大な幻想の中で踊らされた一人だった。
 革命戦士と呼ばれた男は、一人、スケープゴートとされたのだった。

 「世界統一」という野望に向け、IWGPという旗を掲げた新日本プロレス。
 猪木はファンや会社が抱いた思いから、自ら逃れようとした。
 自らの手で、その思いを打ち砕いた。

 猪木を責めることはできない。
 その思いが幻影であることを、猪木本人が誰よりも分かっていたのだから。
 夢は醒めたのだ。

早く国へ帰りたい

  IWGP。昭和プロレス史において、第1回、第2回大会は、
まさしく永遠に名を残す、とてつもない大イベントだった。

  翌’85年。第3回大会は「IWGP&WWFチャンピオンシリーズ」として開催された。
 最終日の猪木vsホーガン戦は「IWGPヘビー級選手権試合」として、
国技館ではなく、愛知県体育館で行われた。
 猪木はホーガンに、11分25秒リングアウトで勝利した。
 この試合について、私はほとんど何も覚えていない。

  映画「自転車泥棒」のラストシーン。
 父と息子は黙ったまま、雑踏の中をあてどもなく歩き続けた。
 たまらず涙を流した父の手を、幼い息子は強く握った。
 父親の名前は、アントニオといった。